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知名町(沖永良部島)「地域活性化起業人」派遣に関する協定締結

*写真左から
今井力夫町長、新海優代表取締役

鹿児島県知名町(町長:今井力夫)と株式会社DGキャピタルグループ(本社:名古屋市、代表取締役:新海 優)は、総務省の地域活性化起業人制度(企業人材派遣制度)を活用し、「知名町地域活性化起業人に関する基本協定書」を令和5年5月15日(月)に締結しました。

本協定に基づき、DGキャピタルグループは令和5年6月より「地域活性化起業人」として社員1名を知名町に派遣します。派遣社員は、知名町に移住し、専門的知識を活かし、脱炭素施策に関する課題解決及び活性化推進のための業務に従事します。

協定内容

派遣期間

令和5年6月1日から2年

派遣期間中の業務

  1. 対外的なDGRの説明及び資料作成支援(環境省、県、町議会)
  2. 住民向けDGRの説明及び資料作成支援
  3. 島全体の再エネ導入に関する助言
  4. その他必要とされる作業

※DGR:デジタルグリッドルーター

知名町 概要

奄美史の歴史区分は、原始から8~9世紀までを「奄美世」と呼び、階級社会以前の部落共同体の時代でした。続いて按司という首長たちの支配割拠する階級社会となります。これを「按司世」と称しています。その後、琉球王朝が支配する「那覇世」、薩摩藩が支配する「大和世」と続きます。「那覇世」は文永3年から慶長14年までの340余年間で、当時、琉球は中山・北山・南山の三王朝が割拠し、本島は北山の支配下にありました。本島に伝承されている文化・言語・風俗などは、その当時に起因しています。
慶長14年、薩摩藩の琉球侵略の結果、本島も薩摩藩直属領になり、元和2年には徳之島に代官が置かれ、本島と与論島を巡回して統治。元禄3年徳之島代官の行政を離れ、沖永良部島に代官所を設置。明治2年には代官所を在藩所と改め、明治4年の廃藩置県に伴い沖永良部支庁となりました。明治12年には戸長役場が設置され、21年に知名村役場が置かれ、明治41年には島嶼町村制が実施され、本島は知名村と和泊村に区分されました。そして、大正9年普通町村制としての知名村となり、村長は住民の公選となりました。昭和16年12月第二次世界大戦勃発、昭和20年8月に終結したものの、昭和21年2.2宣言により、本島は同年3月から祖国日本から行政分離されアメリカ合衆国の統治下となり、米軍統制下で昭和21年9月に町制が施行されました。昭和28年12月25日ダレス声明により祖国復帰し、日本国民として再出発。翌29年に奄美群島復興特別措置法が公布され、昭和38年度まで公共土木事業を中心とする復興事業が推進され、昭和39年度から昭和48年度までの振興事業では産業基盤整備が推進され、昭和49年度から平成10年度までの振興開発事業による社会基盤の整備が図られ、本町の基盤が築かれました。平成15年度まで特別措置法の延長がされたことから、効率的な活用を図りながら総合的な整備に取り組み「豊かで、明るく、住みよい町づくり」を推進します。

人口:5,564人(令和5年5月1日現在の人口数)
面積:53.29 km²

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